ここ数ヶ月の生成AIの進化は目覚ましく、絵を描く、文章を書く、さらには作曲までこなすようになってきました。そうしたニュースを目にして、「いずれ演奏家もAIに取って代わられるのでは?」と不安を感じたピアノの先生もいらっしゃるかもしれません。

でも、私は今、声を大にして伝えたいのです。AIがいくら進化しても、演奏家が持つ価値は決して消えません。AIに個性のある演奏を求めることはむり。演奏に限らず芸術活動全般はAIの力を借りることはあっても、AIに完全に取って代わられることはありません。

まず、楽器の音というのは、ただの「音」ではありません。鍵盤を押す力加減やタイミング、身体全体から伝わるエネルギー、それによって楽器が響かせる空気の振動――こういったものがすべて混ざり合った「生の音」が楽器の出す本当の音です。録音やスピーカーでは、それを完全に再現することはできません。AIは、録音された音を使うことはできても、その場に響く空気を震わせることはできないのです。

さらにそこに個性が加わるとどうなるでしょうか?

AIはたしかに正確に弾くことができます。でも、「この人の演奏だから心が動く」と感じさせることは、AIにはできません。テンポの揺らぎ、音の重み、フレーズの呼吸――それらを意図的に、あるいは無意識に織り込むからこそ、聴く人の心に響く演奏が生まれます。この微妙な手加減は人間だからできること。コンピュータ演奏がいくら発達しても、コンピュータには真似できない部分となります。

うちの子が通うコンセルヴァトワールのピアノ科では、アコースティックピアノを練習用に備えることが求められています。これは、生の響きを身体で感じることを大切にするということからきています。必要に応じて電子ピアノを使うことはあっても楽器の音は生の音が本物であるということは、子供のうちから認識しておくことで音楽文化により、親しみを持てるものとなります。

AIは便利な道具であり、上手に使えば私たちの仕事を助けてくれる存在です。でも、「演奏する」という行為の中にある人間らしさ――感性、身体性、対話性――は、AIには真似できません。だからこそ、これからの時代、人にしかできない演奏が、むしろ一層輝きを増していくでしょう。

演奏家の未来は、決してAIによって奪われるものではありません。むしろ、私たちの音楽が「人にしかできないもの」として再評価される時代が、もう始まっているのです。